家族計画 [D.O.]

以下は2009年9月、再プレイのレビュー。 元祖レビューはこっち

あれから何年?6年?7年?あまりに昔で忘れたけど、突然、また「家族計画」をやりたくなった。
北都南演じる青葉の豪快な悪口が聞きたくなったのかもしれない。
いや、あれは全員、良い配役だったと思うよ。
実は、「家族計画~そしてまた家族計画を~」が実は未プレイであったことに気がついた。
そこで、それをプレイするためにこっちの原作をもう一度やり直すことにした、という事情もある。
とにかく、そう言うわけで、再度プレイ。
あ、ちなみに「家族計画~絆箱~」、つまり音声有りのほう。
音声あったほうが絶対いいよね。

・・懐かしいなあ。
でも何度やっても、笑わされたり泣かされたりするよなあ。
ほんと、名作ですよ。
そして最近、こういう名作には出会わないような気がするな。
これほど笑わせたり、泣かせたりさせられるのって、そうだなあ・・やっぱ、クラナドが最後になるんじゃないだろうか?

春花→末莉→真純→準→青葉の順ですすめる。でも本当は真純→準→春花→青葉→末莉あたりの順番が良いのかもしれないね。特に、「~そしてまた~」をやるのなら、最後は末莉にしておいたほうがいいだろう。
そもそも、こっちのほうのシナリオも、明らかに末莉に力入れてると思う。やっぱ末莉がTRUE ENDなんだろうな。俺はずっと青葉派だったけど、実は今回で、末莉派に転向したような気もする。

あともうひとつ、今回プレイした結果、変化した自分を発見した。
それは、寛がわかるようになったということ。
前回プレイ時は、寛は単にコミカル演出のためにしか存在しないものとしてみてた。
しかし今回は違う。 自分の立場とおかれている状況が、寛と似ているところがあるからだろう。
家族と離れちゃってるし。 色々苦労したし。
俺も寛みたいに頭のねじが外れたら楽になれるのかもしれないな、などと思っちまったよ。
・・まいいや。話を進めよう。
前回は、主に青葉と準で泣いちゃった記憶があるが、今回は不思議だった。
全員で泣いちまった。
春花では、母親を遠くから眺めることしかできない彼女の姿に、思わず涙が出た。母親に料理を作ってあげるシーンも。
エンディングはありきたりだったけど、やっぱり泣いた。
そして末莉にも涙した。
いや、末莉は本当に不憫な存在だね。そういえば前回のレビューでは末莉の事を触れていないな。きっとあまりにろりだから避けたんだと思われ。今はもう、開き直っているのでどうでもいい。世間体は気にしてない。(← いいのだろうか
いや~だって末莉、かわいそうなんだもん。
必死になって、人との繋がりを作ろうとする姿。守ろうとする姿。いや、不憫だ・・。
それ見てるだけで涙出ちまった。
そして言うまでもなく、エロゲ史上最もエロいとも言われるロリ描写。いや、そういう言い方は語弊がある。エロいというより、美しいんだ。
青葉の時と同じだ。
今まで生きていて、ずっと心の中で欠落していたものがやっと補充されていくという美しさ。
今まで存在していたことすら気がつかなかった心の空洞。それを満たしてくれる相手が見つかったことの喜びと、失いたくないという焦燥感と恐怖感。失わないようにするための心と体の必死の訴え。
俺はこの作品の作家、山田一のように天才的な描写ができないから上手く説明できないが、そういう美しさと儚さ、感動が描かれている。
そういう描写なんだ。
これが美しくなくてなんであろう。

次、真純。真純は・・まあ、あの優柔不断さは、ちょっと閉口モノかなー。
だから結構飛ばし気味で読んじゃった。でも、悪い話ではないし、それなりの感動もあったよ。
準は、結構堪える物語りだったことだけは覚えていた。詳細は流石に何年も経って忘れてた。
ブロック食しか口にしないのには、なんだか理由があったような気はしてたんだけど、ああ、そうだね、そうだったな・・。子供の時に親に虐待されて、体が食事を拒否してたんだよな。
最後はありきたりだったけど、やっぱり涙が出た。

ところで、突然ですが。やっぱり景シナリオが欲しかった。(今更・・。)

最後に青葉シナリオ。
カッコイイよね、青葉・・。
そして何年経ってもやっぱり、結ばれるシーンで涙してしまいました。
俺もこういう結ばれ方をしたい、そう思った。

そういうわけで。
山田一の文才、普通じゃない。
恐らくゲーム(正確にはビジュアルノベル)というこの媒体に、最もマッチした文体なんじゃないだろうか。
本当に上手に、笑わせたり泣かせたりさせられた。
家族計画は、7年経った今でも、やっぱり名作でした。

 

(以下、2002年頃、GeoCitiesサイトに掲載されていたものより抜粋。編集者注:原文はもっと長かったのですが該当部分だけ抜粋してます)

家族の存在意義を問う「家族計画」 

これも、ぼくが柄にもなく号泣したやつです。
ストーリーとしては、まあこれもちょっとありえない設定が多いのですが、それぞれの理由で家を失ったないしは捨ててきた人たち、一種のホームレスですな、そういう人たちが、寄り集まって擬似家族をつくり、助け合う、という話です。借金に追われ家族を捨ててきた者、悪い男に結婚詐欺でだまされて逃げてきた者、母親を探しに旅してきた者、両親をうしなって天涯孤独になった者、家出してきた者などなど..。
それぞれ異なった理由から「家族」を失い、またそのために「家族」に対する期待や思い入れや考え方がまったく異なった7人が、当座をしのぐためにとりあえず家族の「ふり」をすることになります。そして始める共同生活が、コミカルタッチで描かれます。
ぼくなんかに言わせればちょっとストーリーが長すぎて中だるみしそうなんですが、後半に入ると事件がいろいろ起きはじめ、そこら辺からちょっと雰囲気が変わってきます。終盤ぎりぎりになって色々と真実が明るみに出たりするのですが...。う~ん、言っちゃおうかなあ、どうしようかなあ、君望でちょっとネタバレしすぎたからな、今ちょっと反省してるところデス。やっぱりこっちはちょっと詳細は控えることにしよう。

やってない人には全然わからない話だと思いますが、個人的なお気に入りはやっぱり青葉ルートです。泣いちゃいました。準でも泣けるけど、でも青葉ほど感動しなかったような気がする。青葉は、最初は疎遠、むしろ苛立つ存在でしかないのに、だんだんと距離が縮まり、彼女の秘密が明かされてゆく終盤に向かうころには、とてもいとおしい存在になっています。

そして最後、やっと結ばれる2人。当然エッチシーンになっちゃうわけだけど、全然イヤラシクない。もうその時点では感情が昂揚しまくっているから、むしろ当たり前の展開に感じる。ここまで想いあって、やっと心が通じ、解け合ったんだ、ここで愛し合わなかったらむしろ不自然だ、と思うくらい、そのシーンには必然性がありました。この時点では、ハッキリ言って嬉し泣きしてた。「やっと幸せ見つけたな、やっと結ばれたな、よかったな!」と。

今まで、どんなドラマや映画や芸術作品を見ても、そこで出てくるベッドシーンとかが「必然」と思えたことなんて、ない。「へえ、脱ぐのにいくらギャラもらったんだろうな」ぐらいのこと考える事はあっても、「ああ、ここで愛し合えた2人は、本当に幸せだ」なんて思ったこと、一度もなかったと思う。
でも、この「家族計画」の青葉とのシーンは違った。うれしかった。幸せに感じた。不思議だ。芸術作品にだってできなかったことが、どうしてエロゲー「ごとき」に?ぼくは感動の渦にもまれながらも、正直ちょっとためらった。こんなに感動していいのか?もしかして、ぼくのレベルが低すぎて、エロゲー「ごとき」でないと感動できない、というだけなのじゃないか?
結論から言うと、断じてそうではない。何か人間の根本的な、根源的な、核心的な部分をつかんでいるから、心が動かされるのだ。
とにかく、そしてエンディング。エンディングテーマが流れる。その歌詞がいい。それが又泣ける。今でも、歌聴いただけで涙出ちゃうぜ。ぼくを泣かしたかったら、この曲流せば、すぐ泣くよ。

 とにかく、「家族とは何か」という問題を真っ向から問いかける...というようなことは残念ながら一切ありませんでしたが、でも普段私たちが当たり前と思っていること、家族に対する甘え、優しさ、安らぎ、そういったものは決して家族であるという事実のみから「自動的に」発生するものではなく、あくまでも「築きあげて」ゆかなければならないものだということには気づかされるかも知れません。皆あまりに不幸な人たち。皆それぞれ、必死になって幸せを求めています。最終的にはそのうちの一人とくっつき、そしてくっつくことでその幸せをつかむわけですが、その瞬間、(そしてその瞬間は意地悪なぐらい唐突に、しかも雪崩のように一気に訪れます)これでウルッとこなかったら、あなたはやはり人間ではありません。自分の星に帰っていただきたいと思います。

これじゃ、ちょっと抽象的すぎてわからないだろうなあ。かといって全部ネタバレさせるのはいやだしなあ。ま、とにかく信じてくれ。そして買って、やってみてくれ。あなたもきっと泣くでしょう。

 ところで、18禁ゲームなのにこういうことを言って不謹慎かもしれないけど、この手の感動ゲームなら、青少年にはむしろ良いのでは?と思っています。どうせそういうエッチなゲームするんだろうからさ、やるならこの「感動もの」をやるべきなんだ。女の子を大切にする事とか、相手の気持ちを察する事、自分の勝手を反省する事、そんな美徳をきっと学べると思う。同じゲームでも陵辱ものとかは、まったく感心しないね。やりたい放題翻弄したり、とかさ。のめりこんだ奴が、現実もそういうものだと錯覚するかもしれないじゃんか。だめだよ、そんなことできると思われちゃ大変だ。
その点、「感動もの」は違う。大体、「オレはなんて自分勝手だったんだ。あんなに想ってくれてるのに、ちゃんと応えてやらなくて」的な、己の行動を反省するような場面が多い。あるいは、「彼女のためにもオレはがんばらなきゃいけない、オレがしっかりしなきゃ」的な決意も多い。
そして、そんな風に一途に生きると、(少なくともゲームの中では)ちゃんと相手も応えてくれるし、ハッピーエンドで終わるという、ご褒美も待っている。(ちなみにそういったハッピーエンドでは、多くの場合エピローグがあって、そこでは数年後の姿が描写され、主人公はちゃんとその相手と結婚してて、2人の間にできた子供をあやしてて...などというシーンが描かれているケースが多い。これも良いことだと思う。一応愛し合ってエッチした相手だからね、最後はその相手と築いた家庭で幸せになっている、それが幸せの最高の形、という感じでけじめがつけられている。いいことじゃないか。感心感心。) 

それ自身が目的化された、社会学的に言えば物象化・対象化された性ではなく、もっと高尚なもの、つまり愛とか信頼とか相互依存とかを裏付けるため、強化するための性、という形で描かれているのが新鮮でもあり、またこの性が氾濫する現代社会での大きなアンチテーゼとなりうるのではと、改めて感動もの18禁ゲームの重要性を認識した次第なのであります。  

 

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